英ポンド相場の今後(英選挙前)
今年の為替相場は比較的静かであり、ドル円は年間レンジがわずか8円弱と、変動相場制以降、最も狭いレンジ幅になりそうです。そうした中、英ポンドは先月(2019年10月)わずか1週間ほどで10円以上の上昇を見せました。一体何が起こっているのでしょうか。
英ポンドが上昇した直接的理由としては、メイ首相のあとを引き継いだポリス・ジョンソン英首相が、EU側と締結した新しい離脱協定案がかなり高評価を得たからです。ついに合意に基づく秩序だった英国のEU離脱(ブレグジット)が可能となる、という期待感が英ポンドを上昇させました。
それ以前は、メイ首相のもとでEU側と合意した離脱協定案があったのですが、英議会は凄まじく反発しました。3回も採決にかけられたのですが、1回目は230票差、2回目は149票差、3回目も58票差と、いずれも大差で否決され、メイ首相は退陣を余儀なくされたのでした。
どうしてそれほどまで、メイ首相のEU離脱協定案が嫌われたのか。それは、いわゆる「バックストップ」の問題があったからです。
EU離脱の最大の難問は、直接国境を接する北アイルランドとアイルランドの国境問題でした。英国もアイルランドもEU加盟国である場合、双方ともにEU単一市場の中にあるので、国境を全く意識することなく、自由に物や人、お金も行き来できます。
ところが、英国がEUを離脱するとなると、通常であれば検問や税関等を置き、物理的に国境をつくらなければなりません。しかしながら、英国とアイルランドは、プロテスタントとカトリックという宗派の違い故に、過去3000人以上が犠牲となった悲劇的な歴史を背負っております。それを止めたのが「ベルファスト合意」でした。1998年に定められたその合意では、北アイルランドとアイルランド間に物理的に国境を置かないと定めています。
物理的に国境を置かないが、実質的に国境を作らなければならない、この矛盾に対処するため、メイ首相案では、良い解決策が見つかるまで、北アイルランドを含む英国全体がEUの関税同盟に留まるという「バックストップ」を採用したのです。しかしこれでは、EUを離脱しても、実質的に離脱できない状況が続くことになり、強硬な保守派から厳しい批判が浴びせられました。
ジョンソン首相は北アイルランドだけをEU関税同盟に残す形にし、英本土(グレートブリテン島)は完全な離脱を実現することで、バックストップの問題を解決しました。ただ、北アイルランドはEU側に実質的に残ることになります。今後4年に1回、住民投票を行い、EUの関税同盟に残るのか、英国側に戻るのか、選択することになります。辛辣な表現をすれば、ジョンソン首相は「北アイルランドを切り捨てた」ともいえます。しかしこうした問題は、実際の運用で英国がしっかり北アイルランドを支えていくことでしか解決できない問題かと思われます。
このジョンソン首相による離脱協定案は、極めて支持率が高く、特に保守党支持者の間では8割が賛成しています。現時点では、保守党に対する支持率も高く(42%前後。労働党は28%前後とかなりの差がついています)、ジョンソン首相自身も人気者です。総選挙で保守党が過半数以上を制する確率はかなり高いように見えます。
では、選挙で保守党が勝った場合、英ポンドはどうなるのでしょうか。その答えは2016年6月23日の国民投票の時、何が起こったのかを振り返ることで、見いだされると思います。
EU離脱に賛成という結果に、金融市場は激しく反応しました。英ポンドは対ドルで高値1.50前後から安値1.32前後へと1700ポイント程下落し、英ポンド円は高値160円に対し、安値は133.25円前後と、27円もの暴落となりました。なぜそこまで英ポンドが売られなければならなかったのでしょうか。
英財務省や英中銀は、離脱となった場合、GDPは8%以上下落すると試算しました。金融センターとしてのロンドンの地位は失われ、英国を欧州の拠点とする企業は大挙して欧州大陸へと大挙して売り釣りに大挙して移り、英国内は大量の失業者で溢れかえると想定されたのです。しかも経常収支の赤字は対GDP比7%を超え、これを為替レートの調整で埋め合わせるには、相当の英ポンド下落が必要となり、状況によっては1ポンド=1ドル以下への下落もあり得るとシュミレーションされたのです。
その後今日まで、英ポンドは基本的にかなり割安な水準で取引されました。1ポンド=1ドルという水準は、さすがに達しませんでしたが、1.20-1.30程度のレンジで取引され、国民投票時点の1.50を少し下回る水準から比べてもかなり割安に推移しました。これには、「合意なき離脱」という、EU側との協議が実現せず、準備なしにいきなりブレグジットがもたらされる可能性をも織り込んだ数字でした。
しかしながら、「合意なき離脱」の可能性はもうありません。保守党が総選挙で勝利した場合、1月中には英議会において離脱協定案が可決し、離脱協定案に基づいた秩序ある離脱が実現することになります。だが、如何に秩序あるものでも、離脱は離脱なので、英国は経済的にはなにがしかの不利益を被るという考えもあります。それはそのとおりなのですが、そのインパクトも、かつての想定よりかなり小さいというのがコンセンサスです。
結論から言うと、英ポンドは国民投票で下落した分を取り戻すと考えるのが合理的でしょう。今は下落相場の逆回転の最中にいるのです。国民投票前と全く同じ水準に戻るべきとも思いませんが、それほど経済の傷がないのですから、下落の7-8割ぐらい戻しても不思議ではないでしょう。保守党勝利で、英ポンドは対円で150円前後、対ドルで1.40ぐらいに戻すと想定しております。この動かない為替市場の中では貴重なチャンスになりそうです。
リスクとしては、保守党が選挙で大きな勝利が得られず、どの政党も過半数を採れなかった場合です。その状況はハング・パーラメントと呼ばれますが、メイ政権時の何も決まらない状況が想起されるため、市場はポンド売りで臨むでしょう。ただ、その可能性は大きくありません。
最後に大きな想定外として、労働党が勝利した場合です。労働党単独では難しいでしょうが、自民党やスコットランド国民党らと連立を組むことで政権を取る可能性はゼロではありません。ただ、その場合は、英国民はEU離脱ではなく「残留」を望んだということであり、再度の国民投票後にEU残留を決めることになります。その場合、ポンドはかなり上昇することになるでしょう。
志摩力男氏 プロフィール
慶應義塾大学経済学部卒 ゴールドマン・サックス証券会社、ドイツ証券等、大手金融機関にてプロップトレーダー(自己勘定トレーダー)を歴任、その後香港にてマクロヘッジファンドマネージャー。世界各地のヘッジファンドや有力トレーダーと交流があり、現在も現役トレーダーとして活躍。
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